酔茗傑作選7

火の色

 

 

深海の底に沈める

室の氣は重げに落ちぬ

微なる人の寢息は

おぼめきぬ。

 

花のランプ

宵のままかがやき燃ゆれ

油吸ふ力をこめて

またたくや火の葉はあへぐ。

 

今、外は暁闇の

星宮に残れる光

うすれゆく眼路の極みに

見うしなふ。

 

薄ら明

光こそ地には下りざれ

室はなほ夜のさまして

窓惟の隙こそ見えね。

 

乾きたる炎の衰弱

終夜倦み疲れし色の

蒼白く燈火やつる

夜明前。

 

酔茗傑作選6

美食地獄

 

 

お前は、

美しい言葉の作り手。

 

お前は、

美しい言葉の寄贈者。

 

お前は、

美しい言葉の番人。

 

お前は、

美しい言葉の彫刻者。

 

お前は、

美しい言葉の生贄。

 

お前は、

美しい言葉の猟人

 

お前は、

美しい言葉の種子播く人。

 

お前、

何うしても美食地獄に來る。

日夏耿之介の『明治大正詩史』(増補改訂版)から

河井醉茗についての評言を引いてみたい。結構、ぼろくそにというか酷評ですね。

 「巻ノ上」から P,186

 醉茗は温情の人、真摯の性で、その詩もほゞその愿款の衷情を吐露する事に成功しつひに一方の代表者となったが(代表者であるが必ずしも盟主ではなかった)、このころの作は未だ未完成の個性なき稚態を免れなかった。彼の詩は「文庫」そのものとともに三十年代初中期に於いて鮮明な躍動を示した。

        同P,297

 河井醉茗は、三十四年、處女詩集「無弦弓」を公にし、内に詩三十三篇と小曲十五篇を収めた。多くは温藉な詩情が静謐な曲律をとって淑やかに歌われているが、人の心に

くひ入る力はあまりない。(ここに「いざよふ雲」「紅芙蓉」の一部を引用し)かすかな美であるが、氣取りも誇張も無さすぎる位にない謙譲な作である。この温情あって藤村の熱情もなく、泣菫の技巧もないかれがつひに一代の流風をかたちづくるに到らなかつたのは是非ない。

 巻ノ中から  p,62

  醉茗の詩は、日本的感情に立脚して、異端的憧憬のない所、雨、白とひとしく文庫的特色を示したが、気硬な行語のない替りに西洋的表現の新鮮もなく、平明なかはりに含蓄美は見られなかった。

 

河井酔茗傑作詩篇5

花  唇

 

 

かたき思ひのつぼむ日

むすぼほれたる唇。

 

かすかにゆるむ魂の緒

にほひありげに息づく。

 

くれなゐ深く氣ざして

生日の足れるあらはれ。

 

大海原の一波

ゆたにたゆたふ唇。

島本久恵   河井酔茗とともにーその九十年の軌跡をめぐって

平成13年9月に標記の講演会が堺市の中央図書館で島本融氏が行い、その講演録が平成16年1月に出ている。今、その講演録を読み終えたところ。島本久恵が書いた『長流』を読んでいないので理解が及ばないところが、多々ある。

 夫である河井酔茗の戦時中の詩篇についての、島本融氏の異見に考えさせられた。

「ただ、強いて言えば、戦争中のおやじの詩というのはかなりひどいですね。つまらない。戦争賛美でもナショナリズムでもやりたければ、それは当人が責任を持ってやればいいんだと思うがどうも作品としてつまらない。」

 昭和18に出た酔茗の『眞賢木』で、上記の島本氏の感想に該当するのだろう詩篇を読むことができる。が、わたしは、一概にそうも言えない気がするのだけれども、深く突き詰めて考えていない今の時点でははっきり異見を言えない。

 それより、その前のほうで、『女性時代』誌には、左翼の方の作品を必ず載せるし、戦前の選挙では二人(酔茗と久恵夫妻)ともだいたい社会党に投票に行く。というように語っていることが、より興味深かった。

 思想と詩篇の在り方についての視座がというものが、きっと問われているのだと思う。要するに、考え方の傾向によってではなく、ことばのありようからのみ詩篇の感興

をみるということ・・だろうか。

河井酔茗に酩酊

河井酔茗の詩集、昭和18年の『真賢木』と昭和21年の『花鎭抄』ともに金尾文淵堂からから出版されたものを手に入れた。

昭和21年の詩集は全部は確認できていないが、収録詩篇は既刊詩集からの選んだものであり、「選詩集」としょうすべきもの。奥付の裏面に広告があって、次に「近刊」として酔茗の『第七詩集』の名がある。実際に出版されたのかどうか・・・・。

 次の行に『眞賢木』(品切)とあって驚いた。この詩集の奥付に(二、〇〇〇部)と発行部数が示されているからだ。ただ、この広告の表記は「眞」とあるが実物の表紙、扉には「真賢木」とある。ただし、扉したのもの、目次、詩篇タイトルは旧字体の「眞」になっている。

 今、ためしに「選詩集」と呼んだものと、既刊のものと表現を比べてみた。たとえば、ある詩篇は全行が直してある。が、そのすべてが漢字をひらがなにしたり、ルビを入れたり取ったりする程度で、行の書き換え等はなかった。

 酔茗は岩波文庫の『酔茗詩抄』の昭和23年第三刷の刊行時の「後記」に「私は一旦活字となって發表された自分の作品には殆ど手を入れない主義である。」と書いているが、その通りなのだなと実感できた。蒲原有明とは違うんだなあと妙に感心した。