島本久恵   河井酔茗とともにーその九十年の軌跡をめぐって

平成13年9月に標記の講演会が堺市の中央図書館で島本融氏が行い、その講演録が平成16年1月に出ている。今、その講演録を読み終えたところ。島本久恵が書いた『長流』を読んでいないので理解が及ばないところが、多々ある。

 夫である河井酔茗の戦時中の詩篇についての、島本融氏の異見に考えさせられた。

「ただ、強いて言えば、戦争中のおやじの詩というのはかなりひどいですね。つまらない。戦争賛美でもナショナリズムでもやりたければ、それは当人が責任を持ってやればいいんだと思うがどうも作品としてつまらない。」

 昭和18に出た酔茗の『眞賢木』で、上記の島本氏の感想に該当するのだろう詩篇を読むことができる。が、わたしは、一概にそうも言えない気がするのだけれども、深く突き詰めて考えていない今の時点でははっきり異見を言えない。

 それより、その前のほうで、『女性時代』誌には、左翼の方の作品を必ず載せるし、戦前の選挙では二人(酔茗と久恵夫妻)ともだいたい社会党に投票に行く。というように語っていることが、より興味深かった。

 思想と詩篇の在り方についての視座がというものが、きっと問われているのだと思う。要するに、考え方の傾向によってではなく、ことばのありようからのみ詩篇の感興

をみるということ・・だろうか。